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ドラゴンクラスの古セイルを使って

こんにちは、久しぶりに書いてみようと思います。

●JIB創立当初に始めた古セイルのバッグ

古セイルを使ったバッグを、最近また作ってみました。

というのも、僕が乗っているヨット、「ドラゴンクラス」のセイルを使って
セイリングクラブのディンギーの練習用にセイルをリメイクしたり、
同じドラゴン仲間の古いセイルを使って、特別なギフトにしたりと、
特にセイリングによって使い込まれたセイルクロスの味わいを生かすことが改めて楽しく、
魅力的だと感じているからです。

さて、「最近また」と書いた通り、古セイルを使ってバッグを作るというのは、
JIBが創立当初に既に始めていたことなのです。
でも、僕が古セイルをJIBバッグのメインの資材として採用し続けなかったのには、
理由があるのです。
まずは、その当時の話しです。

それは、僕がヨットに興味を抱いた10代の頃のこと。
僕は「ドラゴン」というヨットと出逢いました。
マリーナに上架されたドラゴンを見て、その船型の美しさに一目惚れでした。
1929年に設計されたこのヨットが、僕は今でも世界で一番エレガントなヨットだと思っています。

1978年、JIBを設立した当時は、
ディンギーやクルーザーの古セイルを使ってバッグを作っていました。
しかし、当時は今の時代と違い、ヨット人口もさらに少なく、
また、簡単に情報を共有するインターネットのような便利なツールもありませんでした。
故に、古セール自体がなかなか手に入るものではなかったように思います。
一番肝心な材料が満足な量を満たせない状況では、商品の供給にも支障が出ますし、
お客様にもご迷惑がかかると考えました。

そこで僕は、販売する為の商品は新品のセイルクロスで作り、
カバンとして使って頂いている内にお客様の手によって古セイルにしてもらおうと考えたのでした。

そうです!
まさしく今のJIBの原型であり、コンセプトの一つです。

そして、古セイルを使ったシリーズは、
ヨット部の学生達のメモリアルバッグの材料として持ち込んでもらったものを、
丁寧にバッグとしてリメイクする、といった方向に変えたのです。
見た目にも「世界に一つ」のオーラをたたえ、なんとも言えないクタクタ感、
ちょっとした汚れやシワも、魅力的に生まれ変わった古セイルのシリーズは、
「自分たちが乗ったヨットのセイル」であるからこそ、また愛着もひとしおと、
大変喜んで頂いたのを覚えています。

●Dragon Class Series

そして時が過ぎJIBは11月に33歳を迎え、来年は34歳になります。
数年前に手に入れた僕のドラゴンのセイルナンバーは「JPN-34」
(以前このブログにもRainbow Seekerとしてご紹介致しました)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

また、来年2012年の干支は「辰」ということで、ドラゴン・イヤーと言えます。
ということで、「ドラゴン」「辰年」「34」などの符号が揃う2012年、
ドラゴンクラスの古セイルにこだわり、
様々なバッグを作ってみようと考えました。

このバッグは、何もかも徹底的に僕のこだわりを詰め込んで作ります。
また、製作に当たるスタッフは、もちろん僕と僕の艇のクルーだけで作ります。
これもこだわりです。我々のヨットに対する想いを、いっぱいに感じて頂けるように。

古セイルは材料もたくさんありませんし、
セイルをじっくり見て、どこを何に使うと一番良いものが出来るのかなど、
一つずつ細かく裁断していきますので、効率もとても悪いのです。
なので、少ししか作れませんが、楽しい物をたくさん作るつもりです。

どうか楽しみにしていて下さい!

※写真は参考商品で今現在は販売しておりません。年始より発売予定です。

※過去の関連記事はこちら↓

Rainbow Seeker JPN-34 NEWS #1

Rainbow Seeker JPN-34 NEWS #2

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東北・ソロツーリング<後編>

■3日目 <11月6日(金)> 盛岡~靑森経由~仙台 走行約520km

朝7時30分に起床、盛岡を8時30分にスタート。
今日の一番目の目的地は、青森県の奥入瀬渓流。
昨日、盛岡で知り合った方にここは是非行ってみて下さいと、強く薦められた場所です。
現地に着いたならばバイクを止め、少し歩いてみてくださいと。

素晴らしい景色に思いを馳せながら、東北道をひたすら青森方面へ。
東北道に入ってまもなく、左手に富士山を小さくしたような雪が積もった岩手山を見つけました。

Mr. JIB みちのく独り旅 - 岩手山
Mr. JIB みちのく独り旅 - 岩手山

しばらく走った後『北緯40度』の看板を越え、八戸自動車道へと進みました。
ここまで来るともう山が深い。大きい。
全てが青々とした山にすっぽり包まれているのです。
ああだから靑森なのか、と、自分なりに納得。

Mr. JIB みちのく独り旅 - 愛車 BMW 1200GS Adventure
Mr. JIB みちのく独り旅 - 愛車 BMW 1200GS Adventure

さあそして、ようやく目的地の青森県の県境を越え、10時頃八戸インターに到着。
景色を見ても何だか実感らしきものは無いのだけど、普段は全く見る事もない「靑森」という漢字の看板が、今、あちこちに在る。ああ、靑森に居るんだなと感じさせてくれるのです。

いよいよ本州最北の場所へ来たのだという実感も去ることながら。
そこから地道で奥入瀬(おいらせ)渓谷へと向かいます。
ちなみに、ここは、ここだけ時計がゆっくり流れているような町でした。
ひたすら、ゆっくりなんです。
ドライバーは制限速度以下で走り、抜くこともせずゆっくりと。
皆、急ぐ人など誰も居ない(本当は居るんでしょうけど!)感じ。
不思議な時の流れに身を任せていると、自分もなんだかゆったりしてきます。

Mr. JIB みちのく独り旅 - 12時前に奥入瀬渓流に到着。
Mr. JIB みちのく独り旅 - 12時前に奥入瀬渓流に到着。

そこで僕を待っていたのは、本当に、教えてくれた人の言葉通り、感慨深い素晴らしい風景でした。澄み渡る空気と澄み切った清流が、延々と続くのです。
地面とほぼ同じ高さの渓谷は、自然のありようそのままを感じさせてくれ、ちょっと関西では出逢う事の出来ない景色です。
残念な事に紅葉はもうすっかり終わってしまっていましたが、その景色の素晴らしさはとても言葉でも伝えきれません。
ここは、自然界の生き物たちの休息の場所なんだなという感じがします。
十和田湖から注ぎ込む渓流の水の透明度は、同じ透明でも質が違うように見えます。
僕たちが知ってる自然の山々は、どれだけ山深くても人の気配というのがどこかしこかにするものですが、
ここは、観光客もたくさん見かけたのですが、それでも人間の気配が少ない。
ゴミなんかも当然、全くない。

ここは本当に、みんなに見せてあげたいと思った場所です。
ここは本当に、みんなに見せてあげたいと思った場所です。

バイクを止め、少しその渓谷沿いに歩いてみました。

ここまで西宮から約1250km。ずいぶん遠くまで、あっという間に来てしまいました。
この場所へ来られただけで、この旅はもう充分、達成し満足だと思いました。

ちなみにこの地では、僕たちの知っている『動物注意』の看板は全て『熊注意』です。
至るところに、この看板が登場します。あんまり歩いていたくはないですね(笑)。

昼過ぎに、最終目的地であり、旅の折り返し地点の十和田湖到着。奥入瀬渓谷があまりにも素晴らしく、まだ余韻に浸っていたせいか、有名な十和田湖が何だか普通の湖にしか見えません。
ここで、現地の方と少しお喋り。
昔はもっとヒメマスが捕れたとか、おたくは何処から来たのだとか、ここでもまたやわらかな東北弁が心地よく耳に響きます。

Mr. JIB みちのく独り旅 - 十和田湖
Mr. JIB みちのく独り旅 - 十和田湖

余談ですが、現地の方に聞いた話しでは、東北弁はどうしてあんな喋り方になるか、という理由があるそうです。冬になると外気が冷たいから、口をなるべく閉じた状態で喋れるように喋ると、あの喋り方になるのだそうです。へ~なるほどですね!

そんな会話を楽しんだ後、再び十和田湖を秋田側へ回り東北道へ戻りました。
ここからは、はるか南を目指す遠い旅の始まりです。

さてふと考えると、ここまで走ってきて、東北地方でまだ一度も走ってない県が一つ残っていました。
それが山形県でした。
『全ての都道府県の地面を一度は踏む』
という、大切な目標達成の為に、ここは是非ともやり遂げねばなりません。
そこで、知人も居て以前から興味深い街であった仙台を、この日の宿泊地に選びました。
仙台ならば、山形までは目と鼻の先です。
全ての都道府県を踏む偉業達成は、明日の楽しみとして、一路仙台へ。

午後5時頃、仙台の街へ到着。

仙台は都会だ、と聞いてはいましたが、聞いていた以上にとても都会!
この旅で訪れたどんな地方都市よりも秀でて、とても洗練された印象を受けました。
現地の知人数人に連絡を取り、夜には彼らと落ち合いました。
牛タン料理、バー巡り、そしてここでも外せない寿司屋でシメ。
よく食べ笑い、やっとホテルに戻ったのは午前4時前くらい。
やれやれ、よく遊んでしまった。
これは明日ちゃんと起きられるかどうか、ちょっと心配になってきました。

■4日目 <11月7日(土)> 仙台~山形経由~西宮 走行約1000km

朝10時に起床、すぐさま仙台をスタート。

夕べの楽しい余韻にひたる間もなく、次なる目標達成の為に出発。
東北自動車道から山形自動車道へと、約40kmのショートトリップ。
あっという間に山形ICに到着。
もう本当に「デン
」って付いただけ(笑)
それでもいいんです、大目標達成!!
これでやっと気が済んだ僕は、一路目的地を西宮に。
帰りはウロウロせず、ひたすらまっすぐ帰るだけ。
どこまで走れるかわからないけれど、疲れたらそこで一泊する事を念頭に置き、
出来る限り走りきろうと決めました。

11時、山形をスタート。
さぁ走るぞ!

僕の旅にずっと付き合ってくれたビッグバイク、BMW GS1200RS Adventureは
本当に快適そのもの。
走る事に何のストレスもなく、ただただ快適に僕を走らせてくれました。

そのおかげで、京都近くで渋滞に遭いつつも、夜10時頃、西宮に到着!
何も言わずに帰ってきたので、DOG HOUSE営業中で残っていたスタッフの驚く顔を楽しみながら、
ひとまず旅の無事を乾杯。

本日の走行距離は1000kmを少し越えましたが、まだ充分に体力は残っていました。
つくづく、僕ってタフやなって。

Mr.JIB みちのく独り旅 - ルート
Mr.JIB みちのく独り旅 - ルート

■東北は、あったかだった。

齢60歳にして今回、本当に生まれて初めてその地を踏みました。
そして、改めて感じた事があります。
それは、東北の人々がとても暖かだったこと。
少なくとも僕はそのように強く印象に残りました。
思うに、自然環境が厳しい土地の人々は、五感が研ぎ澄まされているからではないでしょうか。
寒ければスイッチ一つで暖房、熱ければエアコン、快適な家や車、安全な街、そんなものに囲まれて生きているわれわれ都会人が、失してしまった本能に近いところにある「五感」が、とても敏感なのではないかと思います。だから、人をいたわり思いやる心も深く細やかなのだろうかと。
素晴らしい土地のみなさん、短い触れあいでしたが大変お世話になり、癒されました。

ありがとう!

■旅の終わりに

僕がこの長距離の旅でつくづく感じた(思い出した)事は、旅の時間が大変だったものほど、充実感が大きいということ。
これはもうずいぶん若い頃から、ヨットで何度も体験していること。
今の時代は海外でも飛行機であっという間に何処でも行けるけれど、わざわざヨットで何週間もかけて行く。そのプロセスの中に在る時間こそ、宝なんですね。
心の中にどんどんあったかい熱い想いがこみあげてくる、この充実感です!

人生だって同じですね。

何時間もかかってやっと辿り着いた靑森の山に立ち、同じような思いを体験出来ました。

限られた休暇や色々な制限の中、時間のかかる旅が出来る人は、そうそう誰でもというわけにはいかないかもしれません。でも、ぜひ一度はみなさんも、このような「時間のかかる旅」の醍醐味を味わってほしいと思います。

次の旅は鹿児島県、指宿の予定です。
今度は、日本列島の南を目指す旅です。
砂蒸し風呂でも入って、またいろんなおもしろいこと考えよう。
次回の旅の話しもお楽しみに。

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好きなことを見つける方法

■若者への問い

私は折にふれよく若者に質問することが「君の好きなことは何?」です。
ある若者は好きなことは何々です、と言っておきながら、一年も経てばもう変わってる。
また、好きなことはわからない、と言う答えも多いです。
何でも手には入って、物質飽和状態の今の世の中にあって、こういう答えも仕方ないのかなと思いつつ、
Mr.JIBはどうやって自分の好きなことを見つけたの?と聞かれると、
若き日の自分を振り返り、『あんな、教えたろか』と、今も変わらぬ私なりの方程式を説明する事になる。
これがたいてい説得力があるようで、皆ふんふんとうなずいてくれる。
これで頷いた若者たちが実践し成功したかどうかは別として、
では今日は私の提唱する『好きなこと発見方法』をご紹介しましょう。

■二つの真実

其の一) 興味を持ったことは即実行すること

当たり前のことだけど、みんなここのハードルをなかなか超えられないのかもしれないね。
重要なことは「即」というところ。
スピード。
興味をもった深さや広さじゃない。
ちょっとでも興味の針がふれたら、次の瞬間は調べて明日にはもうその事をやってるくらいのスピード感。
これが重要なんやね。

其の二) 飽きたらすぐやめること

そしてもう一つ重要なことは、飽きたらすぐやめること。
それがどんなに短期間でも。
意外かもしれないけれど、これが盲点。
但し、飽きるまでそれに一生懸命のめりこむ時間を体験した後の事ですよ。

周りからは『やりたがり』『うれしがり』『初物好き』
或いは『飽き性』『根気がない』『根性なし』などと言われます。
しかしそれは一切気にしてはいけません。

子供の頃を思い出して。
欲しい欲しいと駄々をこねて買ってもらったおもちゃたち。
だけど、手に入れた瞬間、もう次がほしいでしょ。
こんな感じ。

興味の赴くまま気の向くまま、何でもかんでもいくつもチャレンジし、飽きたら止め、
そうやって同じ事を繰り返し、自分の中での興味を持ち飽きる、というサイクルが出来るんです。

やがて、その中で以前にやった同じことをしようとするものが、何故か出てきます。
それをまたやってみたくなるサイクルが来る、そういうものがフツと出てくるんです。

これを何年か継続すると、繰り返しやってみたくなるものが、徐々に少なくなってきます。
この、少なくなってきたものの中にこそ、本当に自分が好きなことが隠れている場合が多いのです。
だって、繰り返し飽きても、やっぱりやりたくなってくるんです。
本当に好きな確率が高いと言えるでしょ。

私はそうやって、本当に自分が夢中になれるものを
数多い「あ、これやってみたい」の中から見つけることが出来ました。

私の場合は海と山と音楽。
そして物作りです。

そうやって若者たちに『キミもぜひやってみれば』とおすすめしている、
とっておきの方法なんです。

■好奇心をかき消す毒

でも、そんな素晴らしい方法でも、これに阻まれればどうやっても歯が立たない、
立証できないアンチテーゼがあります。
大人になればなるほど増える「毒」がアンチを生むのです。それは
『既成概念』
という毒です。
『どうせこうなる』『これは所詮こうだ』などなどの、諸々に働きかけるブレーキになります。
大人のひとにはこれだけで、まだまだ無限にあるチャンスを呑み込まれている事になります。
もったいないので気づかせてあげたいのですが、この毒はかなり猛毒で、一旦体内に入るとなかなか浄化してくれません。
大人になったら、子供のまま過ごすのは無理ですが、いつでもそこに帰れる大人で在らねば、
好奇心の扉は開かないでしょうし、そのものの本質のきらめきにふれることも出来ないでしょう。
少し身に覚えのある大人のひとは、今ここでハっと気づいて下さいね。

■好きなことが何かを考えない若者たち

好きなことが何か見つけられずに悩むならまだいい。
好きなことが何かなんて考えたこともない、という若者たちにも出逢います。

心が震えるような感動や充実感を味わってこそ、せっかく人間に生まれた意味と私は思うのです。

最後の〆は少しテーマが大きくなってしまいました。
この続きはまたいつか。

Dog House にて
Dog House にて

 

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好き嫌いがはっきりしているということ

■絶対絶対、好きな事しかしない主義。

子供のころは、嫌いなものが多かった。

勉強、習い事、家で遊ぶこと、にんじん、etcetc…
これ、子供なら普通の事だと思う。
ちなみに僕はごくごく普通の子供であったけれど、
みんなより、嫌いなものを嫌いと通しきる意思が、特に強固だった。
おかげでその根性というか精神はいまだ何も変わっていない。
しかしその良し悪しは別の話しとして、だからこそ言えることがあるんです。

好きなことは、常に外で遊ぶこと!
それも、探検ごっこみたいなもの。
荒地、防空壕、海、川、山etcetc…、
好奇心のアンテナの振るままあちこち出かけ、夢中で遊んだ。
これって、アウトドア遊びの始まりやね。
足の裏に大きなクギがささったり、足の指の間に小枝がささったり、
それは痛い目にもたくさん遭った。

海、川、池へ魚採り。
なかでも面白いのはだんぜん川遊び!
石で取ったり、自転車の発電機でうなぎを捕ったりの、楽しい毎日でした。

憂鬱な問題は、帰って宿題をすること。
どうしてもする気になれない。
気が向かないからしないなんて理屈は無いですが、
楽しくないとわかっていることを、どうしたって出来ない。
困ったものです。

まあ、一回怒られたらそれで済むだろう・・・でした。

このようにして僕はひたすらに自然の木々や海や川と触れあい、生き物と触れあい、
存分に子供時代のアウトドア遊びを心底エンジョイしていた少年でした。

大きくなるにつれ、これらの多くの体験の積み重ねで、さまざまな知恵が身についていきました。
体験から学ぶ知恵は、書物から得られる知恵とまた違う種類のものです。
僕はこれを基盤に、さらに遊びに生かしていく事になるんです。

さて、こんな風に小さな頃から子供ながらの小さなポリシーの貫きながら大人になった僕は、
もはや嫌な事はどんな事があっても出来ない体質になりました。
成人になり自分で仕事をするようになってからも、ますますこのパーソナルに磨きがかかり、
還暦になる今もやはりその精神は全く変わっていません。

むろん、そればかりでは社会生活の中では生きてはゆけないのですが、
好き嫌いが明確であることは、
自分の夢や才能への最も最短距離になるんじゃないかな、と思うのです。
今どきの若い人たちに、まず教えてあげたい事です。

これは本当に、深いテーマです。また続きは今度。

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Mr.JIB的 年末年始

年末そして年始、もう何回過ごして来たのだろう。
子供の頃は、とにかく楽しかったと思う。
冬休み、スキー、お年玉など、どれをとっても楽しい事だらけで・・・。
それが二十歳を過ぎると、何故かお正月はごく普通のイベントになってきた。
スキーかヨットでほとんど家にはいないというのが、その頃の僕の年末年始の過ごし方だった。
仕事をするようになってからは、家にいてもそれはごくわずか。
そそくさと家を出て仕事場へ行き、静かなアトリエで一人、何かとごそごそするのが好きでした。

僕は「休日」という言葉が好きではありません。
事をいったん始めたら、それを中断するのが嫌だからです。
休日を挟むとやりかけの事がまた一からやり直しとなり、また熱も冷めるしで、僕にとってはいいことが無いのです。

それは僕が、自分で自分の行動のONとOFFを決める(選ぶ)事が出来るから、という事と、
毎日好きな事をしているから、という事で、このように考えるのかも知れません。
常に何かしていたいし、始めたら中断するのが嫌いだからかな。
寝食忘れてなんとやら、です。

そんな僕を人は『回遊魚』『バッテリー』などと言います。
止まってると死ぬとか、放電するなんてね!
しかし、全くその通りだと我ながら思います。

一年のけじめ、と思うのですが、なぜか知らないうちに過ぎる年末年始です。
しかし僕の場合は、いつもと同じように過ぎてゆく事が、一番心地良いんです。

これも、自分の好きな事を自分の仕事にした恩恵なのではと思います。

みなさんに素晴らしい新年が訪れますように。
来る新年もよろしく!

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初クルージング

■初クルージング

衝撃的なヨットとの出会いの春からわずか数週間後、初めての一泊クルージングです。

当時クルージングで乗った船「ナオタン」
当時クルージングで乗った船「ナオタン」

ナオタン(ヨットの船名)に先輩クルーと乗り込み、いざ目的地は、淡路島の洲本へ。
クルーとして、期待と不安に胸を膨らませながら、出港。
西宮港から出発して6~7時間かかったと思います。
その日の天候は曇り、辺りは霧でほとんど何も見えない状況でしたが、それでもコンパスで進路だけ見て、針先を頼りに進むのです。

 

「これで本当にちゃんと着くんか?」

そう、信じられますか?
コンパスの指し示す進路だけで、身近な島だけじゃなく、世界中何処へでも行けるのです。
このシンプルな地球のシステムが、何も知らない僕にとってはとても新鮮で、衝撃で、と同時に最大に不安でした。

目的地が近づく頃の時間、前方に見たことのある松林が!!
小学生の頃、家族旅行で行った時に、関西汽船から見たものと同じ景色が目に飛び込んできました。

ちゃんと着いた・・・・・!!

感激でした。
それは、感激と同時に、何とも言えない安堵感が溢れ、「海に出て、必ず無事に丘(陸)に帰ってくる」という、海の世界での大鉄則の意味を、ほんの少し体感した事でした。

クルージングから帰ってからも、毎日沖に出て、練習に明け暮れてました。
ヨットの艤装(帆走の為の準備・セッティング)、ロープワーク、ロープの投げ方や、セイルのトリム(調整)、そして大切な仕事であるヨットの掃除や整備など・・・覚えることはたくさんありました。
マリーナで動き回る他のスタッフの、無駄のない機敏な動きが、何ともかっこよく、僕の憧れになっていたのです。

そうして、夏も盛りになる頃には、もう自分もいっぱしのクルーのタマゴになっていました。
スキッパー(船長)に指示される前に手際良く段取りし、何でも出来るようになっていました。

若き日の Mr. JIB
若き日の Mr. JIB

 

練習はいつも西宮から4~5時間で往復出来る範囲。
タックやジャイブ(帆走の基本の動作)など、沖に出てはそういった実践の練習です。

また、淡路島、小豆島、家島・・・
瀬戸内海を臨む西宮からは、とても手頃な目的地がたくさんありました。
クルーザーのオーナーが寛容な人物で、僕たちがそういった身近なクルージングを持ちかけると、実行することをいつも心よく許してくれたのです。
【to be continue・・・】

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ヨットとの出会い

■18歳・春(1967年)

若き日の Mr. JIB - ヨットと出合った頃
若き日の Mr. JIB - ヨットと出合った頃

僕が初めてヨットに出会ったのは、18歳の春でした。

大学受験が終わり浪人が決定した時です。
今日から一年間は頑張ろうと思う反面、今日から思いっきり自由やな、とも思っていました。
毎日、自転車でヨットハーバーへ行き、飽きることなくヨットを眺めていました。

あの中、いったいどうなってんねんやろ?、と。

僕の好奇心の針が、今よりもっと敏感に振れていた頃です。

■ヨット生活の始まり

ある日のこと。

「おおい」 「乗るか?」
と言う声が聞こえました。
何のためらいもなく僕は「はい」と答え、その声の元へ走って行きました。声をかけてくれたのは、ハーバーでアルバイトをしている青年でした。彼は僕をディンギー(小さなヨット)に乗せてくれると言うのです。そして僕は彼と二人、沖へと出たのです。

音もなく海をなめらかに滑るように進み、舵と帆で好きなように走る。
私はいっぺんにヨットの魅力にはまってしまい、毎日ハーバーへ手伝いに行くようになりました。
もちろんギャラなんてものはありません。無償の奉仕です。
が、ボートを押したりヨットを洗ったり、他の人から見ればいかにも地味な雑用そのものが、
充分に「遊び」であり、それら一つ一つがとても楽しかったのです。

■外洋ヨットのクルーになる!

初めてディンギー体験をしてから数日後、外洋ヨットに乗るチャンスが来ました。
外洋ヨットとは「キャビン付きのヨット」というのが、ざっくりとした定義です。
当時外洋ヨットなるものは、ほんの一部の方々だけの持ち物だったため、今の時代以上に人々にとってはより遠い存在でした。
僕の居たヨットハーバーにも、わずか数艇あるのみだったのです。

そんな時代、まもなく僕は生まれて初めて外洋ヨットと出逢うことになります。

話しは少しそれる。

その当時、堀江健一氏のマーメイド号が、単独太平洋横断に成功したニュースが日本に溢れた少し後だった。
言わずと知れた堀江氏は、我が町、西宮出身である。
日本はそのニュースに湧き、その偉業は、石原裕次郎が主演で「太平洋ひとりぼっち」という映画化されるに至った。
僕の居たヨットハーバーに映画のロケがきたりもした。
そんなことで、僕の周りはもちろん、日本中が海に関わることがちょっとしたブームになっていました。
小さな西宮の海から世界に向けて、夢が広がるイメージを誰もが持った時代でした。

さて、マーメイドは18フィート(約6m)の小さな船。
僕が声をかけてもらったオーナーの「ナオタン」という船は、24.5フィート(約7.5m)、定員が5~6人ほどの、当時としては大きい方のクルーザーでした。
新米クルーの僕と先輩クルーは、そのヨットクラブから紹介され、そのオーナーの船のクルーとして乗せてもらえる事となったのです。

初めて見るキャビン(ヨットの船内)には、ベッドや小さなキッチンが装備されており、見たこともない世界が広がっていました。僕は、大変な驚きと感激に包まれました。

へぇー、こんな中で充分生活しながら走れるやん!
お茶も飲めるしゴハンも炊ける。
むき出しだけれどちゃんとトイレだってある!
幼い頃の、隠れ家や基地ごっこをしてワクワクした思い出がふわっとよみがえる。

さらに、小さくてもそれは充分に豪華と呼べる装備で、こんな乗り物に乗っている、という自分が、何ともかっこよく思えたのです。これがまた、非常に気分が良かった。
その頃僕は、完全に役に立つクルーとは言えるものではなかったので、何となく「乗せてもらっている」感があったにせよ、とにかくそれは僕にとって最高の優越感でした。

ヨットとは、夢の広がるものやなあと思いました。

その後、その船のオーナーが「この船に乗るか?」と声をかけてくれました。
もちろん答えは即答、イエス!に決まっていました。

そんなわけで、この日から僕は、外洋ヨットのクルーになったのです。
・・・・

もう受験のことは完全に忘れていました。
興味があるのは、ヨットの事だけでした。
ヨットのこと、ロープワークや帆走のこと、自然と向き合うための知識などを、
夢中で覚えました。
覚えることは山のようにあったけれど、受験勉強のは違って、
それはとても楽しい勉強でした。
【to be continue・・・】

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